常に二者択一を迫られる、ストレスだらけの日常。せめて大好きな「散歩」くらいは、途中で立ち止まり、振り返り、あえて小さな路地に迷いこみながら闊歩したい。 ゆっくりと自分の目線で眺めながら歩いてこそ、見えてくる何かがあるはず?!

2010年5月30日日曜日

◆朝の神楽坂 路地裏パトロールの楽しみ

 雨が降っていない朝には、神楽坂の路地裏をクネクネとたどる散歩(パトロール)に出るのが日課です。

 最初に、JR飯田橋駅から東京逓信病院前の外堀土手の遊歩道を一口坂まで歩きます。そこからお堀を渡って市谷田町に。住宅街を大久保通りまで出て袖摺坂を上り、そのまま地下鉄神楽坂駅の矢来口まで路地をたどります。

 さらにラーメン「りゅうほう」前の坂を下り、表通りからひとつ離れた小道を選んで歩いて、坂上交差点近くの銭湯「第三玉の湯」まで。そして、再び大久保通りを渡り、ガイドブックでよく紹介されている神楽坂の石畳の路地裏をくねりながら散歩します。

 朝の神楽坂の散歩はルートを選ばないといけません。まず、表通りはNGです。歩道に飲食店の昨夜の生ゴミが積まれ、その回収トラックにも高い頻度で出くわすからです。特に、夏場の生ゴミの臭いは朝の散歩にふさわしくありません。匂いフェチの私にとって、朝の表通りは鬼門なのです。

 そんなわけで、毎朝のパトロールは表通りを避け、徹底的に裏路地を攻めて歩きます。このコースでの楽しみは、路地裏や住宅街でのネコとの遭遇。多いときには10匹以上ものネコに挨拶できます。

 もっとも、ネコのほうはそんな私にお構いなし。姿を見かけると、さっさと建物裏に隠れてしまいます。日本の街並みには必ず、家と家の間にわずかな隙間が設けられ、ネコにすれば絶好の隠れ場所、移動のための道になるわけです。

 もともとは地震などの防災目的で義務付けられた隙間ですが、ヨーロッパなどの街並みにはこうした隙間が少ないと聞きます。ネコが人通りの多い道を避けて休んだり、移動することが難しくなります。つまり、日本の街はネコにとって暮らしやすいといえるのでしょう。

 そんなネコたちに毎朝、シカトされながらも、いつかアイコンタクトで挨拶ぐらいできるまで、仲良くなれたらいいなと思います。写真はパトロールコースにあるお宅の飼い犬です。足音を聞きつけると、ときどきこうして壁の穴から顔だけ出して挨拶してくれます。

2010年5月27日木曜日

◆家庭のLED電球の導入について

 最近はテレビで、家庭用のLED電球のCMを見かけることが多くなりました。LED電球は、白熱球と比べて消費電力が少なく、省エネ性能に優れています。また、耐久性も高く、二酸化炭素の排出量が少ないのが特徴です。いずれは家庭でも、このLED電球が主流となるのは間違いないでしょう。

 しかし、売り場でその価格をチェックすると、やはり、まだ高すぎるのは否めません。ポピュラーな100形のLED電球だと、7,000円近くします。電球1個でこの価格であるというのは、ハッキリ言って「無茶」です。この値段の高さを見れば、CMにのせられて家の電球をすべてLEDに交換しようという人もいないと思いますが、基本的に現状では「保留」スタンスでいるのが無難でしょう。

 そもそも業界では、LED市場がこれほど早く立ち上がるとは予想していませんでした。その前段階として、電球型蛍光ランプへの切り換えニーズを中心に考えていたのです。ところが、ECO志向の高まりから、トレンドは一足飛びにLEDへと流れ、予想外の展開になったといえます。

 ちなみに、LED電球と電球型蛍光ランプとを比べると、消費電力では本当にわずかな差でLEDのほうが勝っているという程度です。いずれも白熱球と比べれば、大幅な消費電力の節約が実現できます。

●60形電球の場合
電球型蛍光ランプ 価格1,180円(定格消費電力10w)
LED電球 価格3,080円(定格消費電力7.5w)
●100形電球の場合
電球型蛍光ランプ 価格1,780円(定格消費電力19w)
LED電球 価格6,980円(定格消費電力11w)

 価格は実売価格であり、あくまで1例にすぎません。しかし、ほぼ同じ省エネ性能であるのに、この価格の差はあまりにも開きがあります。もちろん、電球型蛍光ランプにも点灯してすぐに明るくならないといった弱点はありますが・・・。

 しかも、LEDはスポットライト・タイプの照明には向いていますが、周囲を全体的に明るくするのには、現状では不向きといわざるを得ません。メーカーでも改良を進めていますが、間接照明などで使用すると明るさが足りなくなったりします。

 ある大型量販店の店員さんも昨今のLEDについて、声をひそめてこう話してくれました。
「売っている側がこう言うのもなんですが、まだ、LED電球はあまりオススメできません。それよりも電球型蛍光ランプのほうが価格もこなれていますし、いまの段階では蛍光ランプを選ぶのが正解だと思いますよ。電灯をつけっぱなしの場所とか、交換が難しい場所(LEDはなかなか切れない)とか、用途に合わせてLED電球にするという手はありますけど・・・」。

2010年5月26日水曜日

◆歩き回るのは不安だから、それとも希望?


 私の愛書のひとつである阿佐田哲也さんの『麻雀放浪記 1青春編』で、その書き出しの部分にこんな文章があります。物語の舞台は戦後間もない東京の焼け野原です…。

「盛り場の道はどこも混雑していた。ただ歩くだけなのだ。闇市もまだなかった。映画館も大部分は焼失していた。けれども人々は命をとりとめて大道を闊歩できることにただ満足しているようであった。」

 もちろん、私はここに書かれたような光景を自分の目で見たことはありません。しかし、おそらく当時の人たちは、暗くふさぎがちな表情ながらも、瞳の奥に生きることへの小さな炎を燃やし、すれ違いながら互いにその炎を確認し、共有して、歩き回っていたのではないかと想像します。

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「歩く」という行為は、ヒトを含めたすべての動物にとって、その存在を維持するための根源的な行為です。食べ物をとりにいく、水を求める、あるいは、新たな生活の場を探す―そのために動物は歩いて移動します。あまりにも当たり前のことですが、私は「歩く」ことが、現在の社会生活においても精神面に大きな影響を及ぼす、大切な行為だと考えます。

 例えば、引越しをしたばかりのころ、やたらと近所を歩き回ったことはありませんか? あるいは普段は外出が面倒なのに、旅行に出かけると人が変わったようにアクティブになったりしませんか?

 たぶんヒトは環境が変わって不安を感じると、「歩く」という行動に出る、そんな本能があるように思えます。自分の居場所を確認するために歩く―それは単純な空間認識という目的だけでなく、不安を打ち消して心のバランスを保つという防衛本能のようなものではないでしょうか?

 そして、歩くとヒトはいろいろなものを五感で受け止め、とりとめもなく思考をめぐらします。「考える」ことはランニングではやはり難しい。歩くスピードとテンポが、「考える」状態にふさわしいと思います。私の場合、ごく稀に(数年に1度くらい)すばらしいヒラメキが浮かぶこともありますが、たいがいはお馬鹿で無駄な妄想の類です。でも、その無駄や遊びが精神衛生上で大切なことかもしれません。

 もしも、仕事や日々の暮らしで行き詰まりを感じたなら、とりあえず外出して、あてもなく近所を歩いてみてはいかがでしょうか? 一歩ずつ進みながら思考をめぐらすことで、悩みの解決策とまではいかないまでも、前向きなモチベーションくらいは得られると思いますよ。

 もっとも、年中歩き回っている自分自身は、ひょっとして「不安」の塊? この日も、神楽坂からお台場まで、約13kmを散歩しました。写真はお台場にある第三台場。幕末の黒船来襲に驚いた幕府が、江戸城を守るために築いた砲台の跡地です。台場の端から陸続きなので上陸できます。

レインボーブリッジは歩いて渡ることもできます。そばをクルマがビュンビュン通るので、あまり快適な散歩道とはいえませんが、東京湾の約60m上空で揺れる、ちょっとコワイ景色が味わえます。橋の左右の歩道のどちらかを選ぶことができますが、強風の時には通行止めになったりする場合もあります。

2010年5月17日月曜日

◆緑のトンネル並木道・・・開通かな?


 先週、大学からの友人が、脳内出血で入院しました。子どものころから太っていて血圧が高かったようですが、最近、ジョギングを始めて、身体がスリムになってきた矢先の出来事でした。

 数日前から言葉がうまく出てこないのを自覚し、仕事帰りに一杯やっていたときに、頭がグニャリ(彼の表現による)とゆがむような感じになったそうです。その後、左半身に痺れを感じ、救急車を呼んでもらって病院に担ぎ込まれました。幸いにも意識はしっかりとしていて、処置も早かったため、大きな後遺症を残さないですみそうだということです。

 おそらく高血圧で多少無理なダイエットをしたのが、原因かもしれません。また、彼はお酒が好きで、飲むほどにエンジンがかかるタイプでした。医者からは飲酒の悪影響も指摘されたと、ベッドの上で寂しそうに話しました。

 皆さまもご自愛のほどを。身体の変調には注意をして、おかしいと感じたら、迷わず医者にかかることが大切ですね。

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 ところで、昨日は神楽坂上で青空フェスタが開催されました。路上にさまざまな出店が揃い、例年になく多くの人が集まっているように思えました。

 また、飯田橋から神楽坂上の交差点までの並木は緑が濃く、深くなり、私がお気に入りの「緑のトンネル並木道」が、一応は開通しました。

 しかし、昨年の秋に大胆に枝切りしたせいか、各木の枝ぶりはコンパクトにまとまっているような・・・。でも、贅沢はいいません。これから夏にかけて、緑のトンネル並木道の上り下りを楽しんでいこうと思います。

2010年5月11日火曜日

◆写真NGは料理への贖罪の気持ち?

 知人から、「せっかく神楽坂に住んでいるのだから、お店の情報をブログに書けば?」と助言されました。確かに神楽坂へ遊びに来られる方にとって、「このお店はどんな料理、どんな雰囲気か」という情報は有用でしょう。実際にお店選びの参考として人気のあるサイトやブログはたくさんあります。

 ただ、出てきた料理に箸をつける前に写真を撮るという行為が、私には馴染めません。あくまでも個人的な見解ですが、なんだか「土足で畳の上にあがる」ような、居心地の悪さを感じてしまうのです……。

 少し前に、各地のさまざまな名産や郷土料理を、毎月取材して回ったことがあります。料理を作ってもらってテーブルの上に並べ、カメラマンに撮影してもらいます。さまざまなジャンルの写真の中で、料理写真は難度の高いものらしいです。

 ライティングや構図の調整に時間がかかり、アツアツの湯気の描写が出ないということで、暖めなおしてもらったこともあります。また、刺身などの生ものでは表面が乾いてしまい作り直してもらったり、ビールを美味しく見せるために、割り箸でかき混ぜて泡を膨らましたりもしました。

 その横でお店の人に話を聞きながら、あるいは撮影後に料理をいただきながら、本当に申し訳ない気持ちでした。もちろん、これは仕事ですから仕方のないことではあります。他のお客さんがいない開店前ですし、より美味しそうな料理写真を撮影するために必要なのです。また、お店も紹介されることで集客が期待できるはずですから、そんな気遣いは不要なのかもしれません。

 でも、やっぱり馴染めないのです。そんな身勝手な贖罪(?)の気持ちもあって、出された料理を写真に撮ることに強い抵抗感があります。ひょっとすると、隣に自分と同じような気持ちのお客さんが座っているかもしれないと思うと、なおさらそう感じてしまいます。

2010年5月10日月曜日

◆荒れた海の色を求めて吉祥寺・棟方志功展に


 棟方志功氏の板画や倭画などの作品を前にすると、なぜか私は子どものころに眺めた、台風で荒れる海の様子を連想します。10年ぐらい前に出張で青森に立ち寄り、棟方志功記念館で初めてその作品を見たときにそう感じました。

 小学4年くらいだったでしょうか、台風で荒れる海を見たくて、1人で自転車をこいで堤防にいったことがあります。荒れた海は黒く、大きくうねって堤防に押し寄せ、波頭だけが青く迫ってきました。普段は波も穏やかで釣りなどを楽しんでいた遊び場の堤防。その海が豹変した姿に、驚いて立ちすくんだ記憶があります。

 そのとき強烈に受けた印象は、自然がもつスケールの大きさと怖さです。まさに後付で考えれば、「畏怖」というべき言葉のイメージそのもの。黒とも深い紺色ともつかない、海の色にオーバーラップされて、このイメージが頭の中にインプットされました。

 そんな「畏怖」の感覚を棟方志功氏の作品に感じるのはなぜか? 自分なりに分析すると、作品の色づかいにあるように思えます。もちろん、氏の作品の力強く、時に荒々しい構図にも寄るところが大きいでしょう。ただ、私にとって、墨をベースにした深みのある青、赤、緑などの配色が、あの荒れた海のイメージを呼び起こすように感じるのです。

 出版・編集現場で使われる特色見本帳(印刷会社が提供するさまざまな色のパターン帳)で言えば、「日本の伝統色」というカテゴリに分類される配色と説明すればよいでしょうか。氏がこだわったという日本凧や、あの「ねぶた」の配色にも共通するものがあります。

 そんな色を求めて、武蔵野市立吉祥寺美術館で開かれている「カガヤクシゴト 棟方志功展」を訪れました。5月23日まで開催されているので、興味のある方はぜひ足を運んでください。小規模な展示ですが、入場料金は100円です。

 棟方志功氏は疎開先の富山で浄土真宗の教えに触れ、その影響を受けたといわれています。展示にはそんな氏の代表作の1つである「二菩薩釈迦十大弟子」の板画もあります。また、「何度彫ってもどこか文字を入れ忘れてしまう」と回顧した、宮沢賢治の詩を刻んだ板画もあり、興味をそそられます。

驚いても、オドロキキレナイ。
喜んでも、ヨロコビキレナイ。
悲しんでも、カナシミキレナイ。
愛しても、アイシキレナイ。
それが板画です。


 世界的に認められた木版画作家である棟方志功氏が、残した言葉です。
※通常は「版画」ですが、棟方志功氏は木版へのこだわりから、あえて「板画」という表現をしていました。

2010年5月8日土曜日

◆健康の基本、メタボ解消の近道―「歩く」こと

 宮崎駿監督の『となりのトトロ』で、「歩こう、歩こう♪ 私は元気~♪」というテーマソングがあります。宇宙飛行士の野口聡一さんが宇宙からウェークアップコールとしてリクエストしたことでも知られている曲です。実は、このフレーズ、私のお気に入りです。

 勝手な思い込みですが、「元気よく大股で、ズンズン歩けるうちは、身体は大丈夫!健康だ」と、私は信じています。普段は酒もタバコもやり、編集という身体に悪そうな仕事に携わって、ロクに運動もしていませんが、散歩が続けられる限りは心配していません。そのいきおいあまって、歩くことに異常なほどの執着を抱えていますが・・・。

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 一時期、左股関節の痛みで運動ができなくなり、体脂肪率がかなり上がりました。見かけはそれほど太っていないのですが、いわゆる内臓脂肪の「かくれ肥満」というやつです。しかし、散歩を日課にするようになって、メタボ傾向は大幅に改善されました。

 毎日、少しずつ散歩の距離を伸ばし、2週間くらい続けると、身体の変化に気付きました。散歩をしていると異常にトイレが近くなるのです。ちょうど冬場だったこともあるのでしょう。水分を補給していないにもかかわらず、毎回30分程度歩くと尿意を感じ、公園のトイレを探してしまう有様です。

 これは、つまり身体の代謝が活発になっている証拠。脂肪が燃焼しているのだと感じました。身体の表面の脂肪はあまり落ちていませんが、おなかのボッコリ感はかなりなくなり、ウエストがきつかったデニムも、1ヶ月ぐらいでラクにはけるようになったのです。

 面白いことに、ある時期から、頻繁にトイレに駆け込むことはピタリとなくなりました。おそらく、身体の代謝には何段階かレベルがあって、ある程度の運動をすることで1段ずつステップアップしていくのでしょう――自分の身体はちょうど1段上がったところにきたのだと想像します。

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 そして、こうした身体への直接的な影響もさることながら、散歩にはもう1つ、大きな効果があります。それが、「生活の習慣における基礎代謝の向上」です。

 例えば、最寄り駅の1つ手前で降りて約2kmを歩くとします。最初は長く感じるかもしれませんが、何回か歩くことでこの距離が苦にならなくなります。そうすると、日常の仕事やレジャーでも、歩くことへの抵抗感が薄れ、「乗り換え面倒だから1駅くらいなら歩くか!」となるわけです。

 つまり、散歩の相乗効果ですね。日ごろの消費カロリーが増えて、身体を動かすことへの心理的な壁が取り払われます。さらに、この相乗効果は続けるほどに、どんどん大きくなっていくと思います。私のように固執してエスカレートするのもどうかと思いますが(笑)。

 ジムでのトレーニングや走ることに、いまひとつ乗り気でない方、まずは気軽な散歩から始めてみてはいかがでしょうか? サプリメントや○○ダイエットといった効果の怪しい(と思われる)手法を選択するより、よっぽど簡単で、身体にも負担をかけない、確実なメタボ解消法であることは間違いありません。

2010年5月6日木曜日

◆美しく歩くことが腰痛防止の第一歩

 とりとめのないことばかり書き綴っているこのブログですが、今回は、腰痛でお悩みの方に、ぜひ試してほしい「ナンバ歩き」風の歩行について紹介します。

 実は私は18歳で椎間板ヘルニアを患い、1年間の物理療法の後に、切除手術を受けた経験があります。原因は身体がギャオス並みに硬い(怪獣ギャオスは背骨が2本あるのがウィークポイント:笑)にもかかわらず、運動で無理をしたため。幸いにもその後、再発することはありませんが、若くして腰に“爆弾”を抱え、軽い神経痛や原因のわからない腰の重さ、痛みにしばしば襲われました。

 9年ほど前にも、左の股関節に力の抜けるような痛みが生じ、整形外科で検査してもらいました。しかし、予想通りにその原因は不明(幼少時にできた骨腫瘍の跡は見つかったが)。腰痛持ちの方ならわかると思いますが、病院にいってもほとんどの場合、根本的な原因はわからず、シップなどの対処療法や、腰痛体操の指導を受けるだけというのが現状です。

 この股関節痛で運動もできず、長く続けていたスポーツジムも退会してしまいました。でも、「これではいけない!」と思い立ち、せめて歩く運動で健康維持を目指そうと考えたのです。当時はちょうど古武術がちょっとしたブームになりはじめたころで、ナンバ歩きもその1つとして、雑誌やテレビでちらほら紹介されていたと思います。

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 Googleなどで「ナンバ歩き」と検索してもらえば、その概要はすぐにわかると思いますが、私なりに解釈し、試してみた結果、習得のポイントは以下の2つだけです。
①できるだけ歩幅を広くする
②背骨の軸を意識する

 「右手・右足を同時に出して歩く」という、ぎこちない動きを指してナンバと解説する向きもありますが、おそらくそれは間違いです。身体をひねらずに歩くと、足―腰―肩のラインは同じ方向に動くわけで、腕は力を抜いていればその反動で逆向きに振れるはずです。だから、「ナンバ歩き=不恰好な動き」というわけではありません。

 一般的な歩き方は、手を振ることで動きのバランスをとります。腰と肩のラインは固定されているわけですから。しかし、ナンバ歩きは肩の動きでバランスをとるという解釈が妥当です。「肩で風を切って歩く」という表現も、そんな描写から生まれたのでしょう。

 最初は、できるだけ歩幅を広くとって歩いてみます。特に下り坂でやってみると、自然と腰―肩のラインが足の動きとシンクロし、同じ方向に振れるはずです。そして、背骨に1本の軸を意識しながら、身体全体を少し回転運動(ローリング)させればOK。わざとらしく極端に動かす必要はありません。

 もちろん、私は古武術の専門家ではなく、「いい加減なことを言うな」とお叱りを受けるかもしれません。しかし、実体験としてこの「ナンバ歩き」風の歩行を始めてから、劇的に腰痛が治まりました。先の股関節痛もいまのところ影を潜めていますし、朝起きたときの腰が固まったような重さや、鈍い痛みもすっかり解消しました。

 また、常に「ナンバ歩き」風の歩行をする必要はありません。散歩などの途中でギアを切り替え、普通の歩き方と使い分ければいいのです。私の場合は、主に坂で「ナンバ歩き」風に切り替えます。特に、上り坂では両足に力が入ってラクです。歩き方(身体の動かし方)を意識的に変えることで、違う筋肉や筋を使うのが腰に良いのかもしれませんね。

 そして、我流解釈にもう1つ付け加えるなら、「美しく歩く」というポイントも重要だと思います。例えば、競馬場のパドックでゆっくり歩行する馬のお尻の筋肉をイメージしながら、背筋を伸ばしてお尻(腰)で歩む感覚を意識するのも良いでしょう。

 いずれにしても「ナンバ歩き」風の歩行は背骨の軸が命ですから、歩く姿勢が悪いと成立しません。私は決してナルシストではありませんが、ショーウィンドウに映る自分の歩き姿を、散歩中にときどきチェックしながら、堂々と胸を張って、美しく歩くことを心がけています。

2010年5月5日水曜日

◆庭園まったりコースでGW散歩の〆を

 GW最終日。明日からの仕事を頭の片隅に、今日の散歩は無難な距離の「庭園まったり」コースにしました。例によって、江戸川橋の「浪花家」でたい焼きを購入し、神田川沿いの公園から目白の椿山荘の庭園(無料)に入ります。

 昔、このあたりはツバキが多くあったことから「つばきやま」と呼ばれていたそうです。明治時代に山縣有朋がこれを購入して「椿山荘」と命名。それほど広くはありませんが、小山の上には広島から移築した三重塔もあり、手入れが行き届いていて、ごきげんな散策が楽しめます。

 現在は結婚式場に隣接する庭園として、多くの人が訪れ、夏にはホタルの飛翔も観察できる希少なスポットとしても有名です。ちなみに、園内のインフォメーションによれば、5月中旬からホタルの姿が楽しめるそうです。

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 次に向かったのは、駒込の「六義園」(入場料:300円)です。椿山荘からは歩いて小1時間くらい。護国寺から不忍通りを東に行き、本郷通りを左に曲がればすぐです。
 「六義(りくぎ)」とは、中国の詩にならった和歌の分類の六体に由来しているそうで、和歌にちなんだ名跡、景観が随所に見られます。この時期は、さまざまな種類のツツジが咲き、和歌山の同名の峠から名付けられたという築山「藤代峠」では、壮観な景色を楽しめました。

 また、5月の日差しをいっぱいに受けた新緑の美しさは格別です。とりあえず写真に収めてみましたが、再現するのはなかなか難しい・・・。庭園の散策は梅雨に近くなると蚊が出はじめるので、いまの時期がベストかもしれませんね。
 明日からまた仕事。皆さんがんばっていきましょう。

◆久しぶりの箱根湯本で


 ずいぶんと昔の話ですが、会社勤めをしていたころに、よく箱根湯本で日帰り温泉を楽しんでいました。朝早く目が覚めて「会社行きたくないなぁ」と思ったら、新宿7時発のロマンスカーに乗り込んで箱根湯本に逃避行。駅前の公衆電話(時代が古い)から、「ちょっと体調が悪いので、今日は有給休暇ということに・・・」と、会社に連絡しました。もう時効なので白状します。元同僚・上司の皆さん、すみません。

 そんな逃避行でたまたま見つけたのが、日帰り温泉施設「天山の湯」でした。駅から少し離れているため、当時は主にバイク乗りの間の口コミでにぎわった施設のようでした。確か入湯料は700円くらいだったと思います(現在は1,200円)。男湯には地熱を利用した窯作りのサウナがあります。陶器窯を連想させる小さな入り口から窯の中に入り、塩を身体にまぶしながら燻られます。中に敷かれている「むしろ」の匂いが好きで、休日などもよく通っていました。

 箱根湯本付近の散策も楽しいものです。石畳が残る旧東海道や、箱根ベゴニア園、ひなびた山寺・阿弥陀寺、塔ノ沢あたりの散策もオススメ。ただ、川をはさんだ山々はどれも険しいので、軽い山登りをするくらいの覚悟で行かないとへばってしまいます。「天山の湯」は川沿いに位置していますが、歩いていくとひと山こえる道のりです(駅前からの送迎バスもあります)。

 久しぶりの箱根湯本でしたが、駅は増築され、川には敷石を置いて流れを美しく見せる改修が行われたようです。ただ、川沿いなどを歩くと、依然、廃業した宿泊施設や従業員住居が放置されていたり、取り壊して更地になっている場所もあり、一時のにぎわいを想像すると、どこか寂しげな雰囲気が漂います。

 一方では、地元の生活エリアに立派なリゾート物件ができていたりして、街の活性化の足音と同時に、バランスを見失った地方の静かな悲鳴が聞こえてくる気がしました。いま、日本のいたるところで同じような現象が起きているのでしょう。

 でも、そんなことをいう私自身は、神楽坂という東京の下町に新しくできたマンションの新参者。批評家ヅラしたことをいえる立場にありません。ただ、自分が好きでねぐらをかまえた神楽坂に、なにか少しでも恩返しができればと考えています。
この季節の山々は、新緑と常緑樹の葉が合わさって立体感のある景色が楽しめます(天山の湯付近で撮影)

2010年5月4日火曜日

◆神楽坂通り 緑のトンネルまもなく開通


 神楽坂通りの並木の緑が、日を追うごとに大きくなっています。すっかり葉が茂ると、神楽坂に私が大好きな「緑のトンネル」が開通します。

 JR飯田橋駅の改札(市ヶ谷寄り)を出たところから見ると、坂の上の方はすっかり緑に覆われ、通りだけがトンネルのように続いているように見えます。また、毘沙門天あたりの坂の上から飯田橋側を望むと、緑のトンネルの先に外堀通りの交差点の一部だけが見えて、このトンネルをくぐってグングン下っていくような愉快な気持ちになります。

 もちろん、他にも並木の美しい通りや街はたくさんあります。しかし、坂の高低差がプラスされた独特の並木道は、この街・神楽坂ならではの景観です。葉が茂った神楽坂通りを、木陰を縫うように上り下りするのが大好きです。神楽坂の散策はなぜか楽しい気分にさせてくれるのは、こうした並木道のユニークさもあるでしょう。

 ただ、晩秋になると大変です。葉がすべて落ちてしまうので、商店会の方々の掃除の苦労は尋常ではありません。掃いても掃いても、大量の落ち葉が歩道に積もり、油断するとそれに足を滑らせて転んでしまうこともあります。そのためか、昨年の秋は本格的な落葉の前に枝切りをしたようです。

 このGW中には間に合わないかもしれませんが、まもなく緑のトンネルが開通します。特に、神楽坂通りが歩行者天国となる日・祝日の午後がオススメです。
並木の葉が揃えば、緑のトンネルが開通。もうすぐですね。

2010年5月3日月曜日

◆神楽坂の憩い空間②「早大通り」


 地下鉄神楽坂駅から少し歩いた場所に、早稲田大学の正門へと続く「早大通り」があります。神楽坂周辺の狭い路地とは異なり、車線中央に植え込みスペースのある広い通りで、私もよく散歩に利用しているルートです。

 この通りの遊歩道には、なぜか動物や子どもの彫刻がいたるところに設置されています。特に、神楽坂よりの山吹町から外苑東通りまでの間には、干支の十二支を表現するモニュメントが据えられ、この区間の遊歩道の両側を往復すると、合わせて12匹の動物たちに会うことができます。

 しかし、なぜ十二支なのかという説明が一切なく(注意して見たけど案内板などには記述がない)、何度かここを散歩してはじめて「そうか!十二支ね」と気付くのです。しかも、外苑東通りから早大正門までの区間にも多数の彫刻があるのですが、こちらは子どもだったり動物だったりで、どうも私には統一性が感じられません。似たような彫刻群が、外苑東通りを境に混在しているという不思議な状況です。

 おそらく商店会が違ったりして、それぞれモチーフの異なるモニュメントを設置したのでしょうが、神楽坂から早大正門まで片側だけを散歩していくと、通りのモニュメントの意図がわかりにくく、しばらくは私の中で謎になっていたわけです。

 とはいえ、この早大通りは歩道も広く、散歩にはうってつけです。休日には一部の区間でクルマの乗り入れを禁止しているらしく、道路の真ん中で子どもが遊んだり、町内会の催しも行われている様子。多様な彫刻を楽しみながら散策できる通りです。

2010年5月2日日曜日

◆実家の近くの小さな滝にいたカワセミ


 GWは天気に恵まれ、レジャーや帰省に最適な1週間となりそうです。陽気に誘われて、自分の中の「放浪の虫」が黙っていてはくれません。とりあえず散歩の準備をして、家を飛び出ました。

 まず、向かったのは近場の「小石川後楽園」です。特別名勝と特別史跡に指定されるこの大名庭は、徳川光圀によって完成された回遊式築山泉水庭園で、水の流れと池、築山の起伏に富んだ緑の散策が楽しめます。ここは少し前、瑠璃色の美しいカワセミが棲みついたことで話題となりました。残念ながら今回、お目にかかることはできませんでしたが、まだ、生息しているのでしょうか? ともあれ、都会の真ん中に、これほど立派な庭園の緑があるのは心安らぎます。



お昼時にはもんぺ姿のおばさんが、園内を回って弁当を売り歩く姿も見られます。






 「渓流の宝石」と呼ばれるだけに、カワセミが生息するエリアは“山里はなれた美しい清流”と思われがちですが、意外とヒトの近くにいるものです。実は、山口県宇部の実家から約150mの場所に落差3mくらいの小さな滝があるのですが、ここにカワセミが棲みついていました。私は散歩の途中、毎日のようにカワセミの姿を2、3mくらいの間近で目撃していたのです。

 話は変わりますが、幼稚園に飛んでいって園児と遊ぶペリカン「カッタ君」――その映像をテレビで見た記憶はありませんか? カッタ君が暮らしていたのが宇部の常盤公園です。その昔、灌漑用に大きな湖が造られ、現在は湖畔に白鳥やコイ、ペリカンなどが多く生息する公園となっています。カッタ君はすでに死んでしまいましたが、いまでも公園に行くと放し飼いのペリカンが、ヒトのすぐそばをペタペタと歩いています。

 カワセミがいたという小さな滝は、この人造湖から国道190号線の下をくぐって、水が流れ落ちる場所にあります。大きな木がうっそうと茂り、国道側からは見えませんが、トラックやバスがたくさん走る片側2車線道路のすぐ脇です。そんな場所にカワセミが棲みつき、けっしてきれいとは言えない滝のよどみの小魚をめがけて、ダイブする姿がありました。

 帰省時にカワセミの姿を確認したのは、10年ぐらい前が最後です。今年3月に弟の結婚式で実家に戻ったときは、ほとんどとんぼ返りで、滝まで行けなかったのです。でも、あまり近寄る人もいないためでしょうか、滝の周りの木々はさらに深く、滝への小道は雑草が生い茂っている様子でした。たぶん、いまでもそこでカワセミがひっそりと暮らしている――そんな期待を膨らませました。

 故郷のカワセミへの想いを胸に、散歩を続けました。水道橋麺通団でうどんランチをとりながら、今日の散歩テーマは「おのぼりさん」に決定。まず、ドラマ「新参者」で人気上昇中の人形町(やはり人形焼屋の前には長蛇の列)から、水天宮を抜けて隅田川沿いを南下。佃島に渡り、月島を経て勝鬨橋から銀座に向かい、改築が惜しまれる歌舞伎座へといたるルートです。

 川辺の遊歩道は、GW中もあってか意外と人影もまばら。風も穏やかで気持ちのいい散歩コースです。永代橋、清洲橋、佃大橋、勝鬨橋など、隅田川に架かる橋は一つとして同じデザインはなく、これらの個性的な曲線美を一つひとつ楽しみながら散策するのもオススメです。

 もちろん、新名所である「スカイツリー」も遠方から鑑賞できます。東京に暮らしながらも、旅行者気分で非日常のTOKYOを楽しむ――考え方を少し変えれば、これほど充実した観光地は世界にも珍しいと思います。
【今日の散歩】
神楽坂→小石川後楽園→御茶ノ水→神田→人形町→水天宮→佃島→月島→銀座→東京→飯田橋(約15km)

2010年4月27日火曜日

◆ほうじ茶の香りは、マタタビの魅力


 散歩の楽しみの一つに、街のいろいろな香りをかぎ分けながら歩くという、人には自慢できない趣味があります。それを私に教えてくれたのが、神楽坂のお茶屋さん「楽山」です。天気の良い日には、店の前に古めかしい煙突付きの煎り釜を持ち出し、そこでほうじ茶を煎ってくれます。

 その青白い煙のなんとも言えない、お茶の香ばしさがあたり一面に広がります。風向きによっては家を出た瞬間に、ほうじ茶の淡い香りを感じるときもあり、そんな日は一目散に「楽山」の店の前を目指します。もし、ほうじ茶の煙の近くでクンクン鼻を鳴らしながら、まさに「猫にマタタビ」状態で恍惚の薄目をしているオヤジがいれば、それが私です(笑)。

 それにしても、ハーブなどのアロマはいろいろな種類があるのに、お茶の香りというのはあまり聞きません。お香でも芳香剤でもいいのですが、「煎茶の香り」といった製品があれば、すぐにでも買い求めるのですが・・・。もし、そんな製品があればどなたか教えてください。

 最近では神楽坂がテレビや雑誌などで取り上げられることが多く、平日でも多くの人が訪れてくれるようになりました。同時に「楽山」のほうじ茶も売れているのでしょう。ほうじ茶を煎る回数がかなり多くなってきたように思えます。私と同じ匂いフェチの方、神楽坂の昼間の散歩は、晴れた天気の良い日がオススメです。

2010年4月25日日曜日

◆両国まで散歩―「江戸東京博物館」


 今日は絶好の散歩日和でした。お昼前に神楽坂を出て、一路、本郷・御徒町方面へ。できるだけ大きな通りを避けて、路地をくねりながら歩くのが私の散歩のルールです。目的地は隅田川を渡って、両国にある「江戸東京博物館」。蔵前橋通りに出て橋を渡り、横綱町公園でおにぎりを食べて腹ごしらえしました。

 この横綱町公園には、関東大震災で亡くなった人たちを供養する慰霊堂があります。大正12年(1923年)9月1日の震災時、陸軍の被服廠の跡地だったこの場所に、付近の多くの人たちが避難してきました。しかし、火災旋風などで運び込まれた家財道具に火の手が移り、この場所だけで4万人近くの犠牲者が出ました。
 いまはのどかな公園ですが、コンクリート造りの慰霊堂を近くで見ると、どこか威圧感があり、慰霊にかたむけた人々の想いが伝わってきます。また、デマによる暴動で殺害された朝鮮人犠牲者の追悼碑も公園内にあります。

 今回訪れた江戸東京博物館には、江戸時代はもちろん、明治・大正・昭和の展示コーナーもあります。すぐ近くにある横綱町公園と合わせて見学すると、関東大震災を経て戦争に突入した不幸な近代の歴史をより身近に感じられるかもしれません。

 ところで、江戸東京博物館は以前、両親を連れて訪れたことがありました。そのときは、かなり広くて展示品も充実しているという印象でした。それで今回、もう一度じっくり見てみようと思ったのです。ところが改めて訪問すると、自分が思っていたよりもボリュームが少ないような印象・・「こんなものだっけ」と感じてしまいました。おそらく前回は時間も限られていたので駆け足で回り、他にもたくさん見たい展示品があると、勝手に思ったのかもしれません。

 散歩でもよくあることですが、初めて通ったルートは「長い」「遠い」と感じます。でも、道を覚えて何度か通ると、それほど距離を感じなくなるものです。これと同じことが、博物館にも言えるのでしょうか?

 でも、江戸東京博物館は、入場料金600円(一般・常設展示)で、けっこう充実していると思います。伊豆あたりの観光地にあるような、(正直言ってわけのわからない)博物館群とは比較になりません。特に、私が気に入っているのはジオラマ展示。江戸や明治の街並みを再現したジオラマに入り込んで、当時の暮らしを想像するのが好きです。


 お台場にある「船の科学館」もオススメの1つ。大きな船の模型や機関などの構造物展示が充実しているうえ、東京湾を行きかう船を実際のレーダーで眺められる操舵室展示もあります。連休あたりに子どもを連れて訪れてみてはいかがでしょうか。
 
【今日の散歩】
神楽坂→本郷→御徒町→蔵前橋→両国→秋葉原→神保町→飯田橋(約12km)

 

 

◆大人の下町遊園地「立石」

 先日、取材で葛飾区の京成立石に行きました。ここは「大人の下町遊園地」とも紹介される、まさに昔ながらの情緒が残る下町です。京成の立石駅を降りた瞬間に、もつ焼き屋、焼き鳥屋、揚げ物屋の匂いが鼻をくすぐり、酒好きならずとも楽しい気分にさせてくれます。

 聞くところでは、昼間からオープンしているチョイ呑みの居酒屋も多く、開店前から行列ができる人気店もあるそうです。駅前の踏み切りに続くメインのアーケード街から、1本外れた場所に小さなアーケード通り「立石仲見世商店街」があり、先の焼き物、揚げ物の匂いの出所となるお店が、軒を連ねています。かつての闇市の名残を引くたたずまいは、まさに下町を代表するような風景。子ども2人を乗せた3人乗りのおばさん自転車が、狭い路地を行きかったりしています。

 また、踏切を隔てた反対側には、「鳥房」という人気の居酒屋があり、その奥には、これまた昭和の香りが色濃く残る「呑んべ横丁」もあります。駅前近辺にはモツ焼き屋が異様なほど多く、まだ明るいうちから、オヤジたち(女性も多い)が煙の中で陽気に呑んでいる様子は、見ていて笑ってしまうほどです。

 そんな立石の街を歩いていて、ふと、こういう風景こそ、いまの子どもたちに見せて(体験させて)あげることが大切なのでは…と考えました。花見の席や草野球もそうですが、親たちが本当に楽しんでいる姿の記憶は、けっこう後々まで覚えているものだと、自分自身を振り返ってみてそう感じたからです。

 ガイドブックや観光案内などでは、「下町情緒」というキャッチコピーがいたるところに使われます。これは昔ながらの「懐かしさ」「人情」といった、雰囲気やイメージをひと言で伝えるにはとても便利な言葉です。最近はやたらとこの言葉が使われすぎて、あたかもマーケティングや広告活動のブランド用語として、一人歩きしている気さえします。しかし、この耳ざわりの良い言葉のうわべだけをなぞるのではなく、その深いところ――日常の泥臭い暮らしの中――にこそ、本当に大切なものがあるのではないでしょうか。

「下町情緒だって?知らないね。これが私の日常だけどなにか?」と言いたげ(笑)
【今日の散歩】
立石駅近辺(約3km)
 

2010年4月21日水曜日

◆夜の神楽坂散歩の密かな楽しみ

 空が暗くなり、お店の電飾が目立ちはじめる夕方6時くらいから、神楽坂の路地裏を散歩するのが好きです。予約のお客さんがぼちぼち来店してくる時間。料亭や飲食店がこれから忙しくなる間際に、時間がポッカリと空いてしまったような、妙に落ち着いた空気を肌で感じながら、狭い路地を選んで散歩します。
 厨房から外に出て一服している料理人や、仕込みの余りものを通いネコに分け与えるお店のスタッフ、玄関に盛り塩を置くママさんなど・・・神楽坂がその本領を発揮しようという前に、ちょっとだけ垣間見ることができるこの街のもう1つの顔です。お座敷に急ぐ芸者さんと、路地角でばったりニアミスになることもあり、けっこう楽しいものです。

 実はもう1つ、あまり人には自慢できない自分だけの楽しみ方があります。それが街の匂いです。冬場の寒い時期はいまひとつですが、今日のように暖かくなってくると、お店や民家の入り口や窓が開けられ、仕込んでいる料理のさまざまな香りや、民家の夕飯の匂いがそこら中に漂ってきます。
 焼き魚や煮物、ごま油の香りから、玉ねぎを炒めた甘くて香ばしい香り、肉を焼く魅力的な煙、カレーやガーリックのパンチの効いた一撃まで、歩くたびにさまざまな料理の香りに包まれます。さらに、バーのどことなく湿った部屋の匂いや、座敷の畳、女性の香水まで、鼻に届く匂いの出所をキョロキョロと探りながら歩くのが好きです。

 この夕暮れ散歩に出かけるときには、必ずiPhoneからイヤフォンで音楽を聴き、度がかなり弱くなった室内用(仕事用)のメガネをかけて外出します。耳を音楽でふさがれ、視力もあえて弱くすると、不思議と鼻が敏感になってきます(経験上、たぶん間違いないと思う)。そのうえで街の匂いをたどって徘徊する、密かな楽しみに浸るのです。
 おそらく、私は立派な匂いフェチ! ひとつ間違えば、変質者の領域に入る人間かもしれません。
【今日の散歩】
神楽坂近辺(約1.5km)

2010年4月20日火曜日

◆神楽坂の憩い空間①「象さん公園」


 住処にしている神楽坂近辺で、ちょっと変わった不思議なスポットを紹介していきます。神楽坂散策の参考にしてもらえれば幸いです。
 第一弾は、地下鉄神楽坂駅から近い「象さん公園」です。神楽坂から江戸川橋へと坂を降りる途中にあり、両地域の近道としても利用される小さな長細い公園です。ユニークなことに、朝8時くらいから夕方(5時もしくは6時)までしか利用できず、夜は門が閉じられて立ち入ることができません。
 神楽坂側(坂の上)から入ると、一見、普通の公園のように見えますが、坂の傾斜を生かし、階段横には滑り台が設けられています。これが、写真にあるように、2匹の像をかたどったシュールなデザイン。子供心にはちょっとコワイと感じそうな外観です。
 どういう意図で像をモチーフにしたのか不明ですが、不思議なことにここで遊ぶ子どもの姿はあまり見られません。でも、昨今の神楽坂人気の影響をほとんど受けず、ひっそりとたたずむ公園で、天気の良い日などは、本当にゆっくりくつろげます。
 ちなみに、すぐ近くにはチャーハンやこってりめのラーメンが人気の中華料理「りゅうほう」や、昔ながらの洋食「イコブ」、クリームパンの「亀井堂」などの穴場グルメもあります。
 また、「象さん公園」の江戸川橋側には、昭和レトロにとっぷりはまり込める小さな洋食屋「キッチンえびす亭」があります。老夫婦が営むこの店は、ある程度の料理が注文されると、すぐに閉店になってしまい、食べそびれることもしばしば。でも、地元の人には昔から愛されている名店です。もし訪れるなら、そのあたりの事情も加味しながら、気遣いしてください(ブログとはいえ、あえて写真は掲載しません)。
【今日の散歩】
神楽坂・江戸川橋近辺(約3km)

2010年4月16日金曜日

◆「保証書は箱の中に」??


 冷たい雨が降るなか、家電関連の原稿のリサーチのため、有楽町のビッグカメラに行きました。目的は3D関連の製品。テレビやレコーダー、デジカメなどすでに発売されている3D対応モデルやそのデモを自分の目で確認しました。今年は「3D元年」といわれ、3Dが大きなトレンドに育ちつつあります。いずれ、モデル選びのポイントなどもこのブログで紹介していきたいと思います。
 今回はこのテーマではなく、メガネスタンド購入のちょっと笑ってしまったエピソードを紹介します。私は両眼0.1以下のかなりの近視で、部屋用と外出用の2つのメガネを使い分けています。以前からメガネスタンドが欲しいと思っていたので、リサーチ後にメガネ売り場をのぞきました。ちょうど手頃な製品があったのでレジに持っていくと、若い女性の店員さんが「保証書は箱の中に入っておりますので・・・」と、とても丁寧な口調でいいました。
 そのトークを最初は聞き流した私も、「メガネスタンドに保証書?」と心の中で自問し、サイフを開く手を止めて、その製品の箱を凝視してしまいました。すると、女性店員さんも私の異様な間を察知したらしく、レジ操作を止めて一緒に箱をしばらく凝視・・・。
 2秒ぐらいたって、
女性店員さん:「(お客様)これは・・・(何?)」
私:「普通のメガネスタンド・・・。(だから保証書って)」
女性店員さん:「保証書はありませんよね。そうですよね」
と、照れ笑いです。
「すみません。いつもの口癖で言っちゃいました」と、顔を赤くする女性店員さんを見て、私もなんだかほんのりとした心になることができました。

2010年4月15日木曜日

◆京都嵐山のサクラと雪

 本日は寒の戻りで、神楽坂も季節はずれの冷たい雨に。本当に今年の春は気候がヘンです。少し前の話ですが、3月の終わりに京都に行きました。例年なら、サクラがほぼ咲きそろい、観光客でにぎわう行楽シーズンです。
 ところが京都に到着した日(3月29日)は、今日のように真冬並みの寒さで、夕方から雪が降るという始末。「これは積もってしまうのでは・・・」と心配するほど、本格的な降雪でした。ちょうど嵐山界隈を散策していたのですが、6、7分咲きのサクラの花に、みぞれや雪が降りかかるという、ある意味で貴重な風景を見ることができました。
 渡月橋の近くでサクラを撮影していたら、突然黒い雲が空をおおい、みぞれや雪が降り始める――わずか数分の間に目の前の景色ががらりと変わってしまいます。




 世界文化遺産に登録されている天龍寺の庭園では、季節はずれの雪風景を撮影しました。


 今年のこうした異常気象で、花見の時期が長くなり、例年と比べて経済効果が大きかったそうです。しかし一方で、野菜が高騰するなどのマイナス面も。景色を眺めるだけなら大きな問題はありませんが、社会や経済はほんのわずかな気候の変化で大きな影響を受けるのは事実です。
 したたかなサクラの花を眺めて思うのは、いま声高に叫ばれている「温暖化」という言葉が、しょせん人間の傲慢さと強欲さを表すだけの、空虚なスローガンで終わらないことを願います。
【京都の散歩】
嵐山界隈(約5km)

2010年4月12日月曜日

◆ヒトは一生でどのくらいの距離を歩けるか?


 先週末、暖かい陽気に誘われて、江ノ島散策に出かけました。JR藤沢駅から歩いて江ノ島に向かいながら、ヒトは一生の間にトータルでどのくらいの距離を歩くことができるのか? という疑問が浮かんできました。
 産業革命以前のクルマも列車もない時代、馬などの乗り物があったにせよ、ヒトは現代人よりも長い距離を歩いたことでしょう。例えば、1日平均8kmを自分の足で移動したとして、1年間に2920km。これを14年続けると40,880km、つまり地球を一周できます。もちろん「誰が一生で何km歩いた」という記録はありません。一説には20万km(地球から月までの約半分)くらい移動できるという試算もありますが、その前に足腰にガタがきてしまうような気もします。
 これは以前、上野動物園の園長を務めておられた増田光子さんにうかがった話ですが、そもそも大半の野生動物の寿命は歯に依存するそうです。歯の何割かが虫歯やケガで欠損すると、摂食に支障をきたし、身体が弱って寿命を迎えます。
 幸いにもヒトには入れ歯などがあり、医療の進歩で寿命は昔と比べてかなり延びています。そのぶん長く歩き続けられるわけですが、ヒトの足腰はどのくらい歩くとパーツとしての寿命を迎えるのでしょうか? やはり軟骨が磨り減ったり、骨が変形したりして、満足に歩けなる時が来るのでしょう。そうなる前にせいぜい散歩を楽しみ、月を近くで眺める距離まで行きたいものです(近眼なもので・・・笑)。
 そんな馬鹿なことを考えながら、江ノ島駅付近で険しい斜面で必死に建つ山寺のような家(たぶん普通の家だと思う)を見かけました。趣があって希少価値のお住まいだと思います。


 江ノ島では、岩屋も含めて島の裏側まで散策しましたが、やはり人は多かった。意味のない有料のエスカレーターは利用せず、江島神社の右側の小道を行くのがオススメです。
【今日の散歩】
JR藤沢駅→江ノ島→江ノ島駅(約5km)

2010年4月8日木曜日

◆哲学堂のサクラ


 江戸川橋の浪花家(麻布十番の浪花家の暖簾分け)で購入した、たい焼きをほおばりながら目白方面に散歩。学習院の入学式らしく、目白駅前は学生で混雑していました。
 さらに目白通りを西進して、結局は西武線・新井薬師の哲学堂公園まで散歩。以前、近くの野方に住んでいたことがありましたが、訪問は初めてです。
 ここ意外と面白いですね。孔子と釈迦、ソクラテスとカントの4大哲学者を祀った「四聖堂」や、東洋の哲学人を祀る「六賢台」などの古い建物がこじんまりとした丘の上に並びます。ただ、哲学にちなんだこれらの建物はわかるにしても、天狗と幽霊の像が並ぶ「哲理門(妖怪門)」に、「髑髏庵(どくろあん)」など、学問とはかけ離れたいわくありげな建物も。さらに、この場所には梅の木にまつわる幽霊話もあるとか・・・。
 この哲学堂を作った明治の哲学者・井上円了は、迷信を否定する立場から、妖怪や幽霊を学問として研究した第一人者でもあったそうです。東洋と西洋の思想に古来の迷信も渾然一体になったような、不思議な空間でした。
 特に、私が気に入ったのは、哲学堂の裏手に当たる場所にひっそりとかかる「理外橋」。宇宙の真理を突き詰めても「理外の理」があることを知るべし、ということでしょうか?
 もちろん、この時期ですから、サクラも満開。とてもきれいでした。そういえば先月末、京都に立ち寄ったときに、「哲学の道」を歩きました。サクラはまだ六分咲きといった感じでしたが、四条川原町から南禅寺、哲学の道、銀閣寺を回って、なぜか下鴨神社(出会いのパワースポットらしい)まで散歩しました。
【今日の散歩】
神楽坂→目白→哲学堂→野方→都立家政→高円寺(約12.5km)