常に二者択一を迫られる、ストレスだらけの日常。せめて大好きな「散歩」くらいは、途中で立ち止まり、振り返り、あえて小さな路地に迷いこみながら闊歩したい。 ゆっくりと自分の目線で眺めながら歩いてこそ、見えてくる何かがあるはず?!

2010年5月11日火曜日

◆写真NGは料理への贖罪の気持ち?

 知人から、「せっかく神楽坂に住んでいるのだから、お店の情報をブログに書けば?」と助言されました。確かに神楽坂へ遊びに来られる方にとって、「このお店はどんな料理、どんな雰囲気か」という情報は有用でしょう。実際にお店選びの参考として人気のあるサイトやブログはたくさんあります。

 ただ、出てきた料理に箸をつける前に写真を撮るという行為が、私には馴染めません。あくまでも個人的な見解ですが、なんだか「土足で畳の上にあがる」ような、居心地の悪さを感じてしまうのです……。

 少し前に、各地のさまざまな名産や郷土料理を、毎月取材して回ったことがあります。料理を作ってもらってテーブルの上に並べ、カメラマンに撮影してもらいます。さまざまなジャンルの写真の中で、料理写真は難度の高いものらしいです。

 ライティングや構図の調整に時間がかかり、アツアツの湯気の描写が出ないということで、暖めなおしてもらったこともあります。また、刺身などの生ものでは表面が乾いてしまい作り直してもらったり、ビールを美味しく見せるために、割り箸でかき混ぜて泡を膨らましたりもしました。

 その横でお店の人に話を聞きながら、あるいは撮影後に料理をいただきながら、本当に申し訳ない気持ちでした。もちろん、これは仕事ですから仕方のないことではあります。他のお客さんがいない開店前ですし、より美味しそうな料理写真を撮影するために必要なのです。また、お店も紹介されることで集客が期待できるはずですから、そんな気遣いは不要なのかもしれません。

 でも、やっぱり馴染めないのです。そんな身勝手な贖罪(?)の気持ちもあって、出された料理を写真に撮ることに強い抵抗感があります。ひょっとすると、隣に自分と同じような気持ちのお客さんが座っているかもしれないと思うと、なおさらそう感じてしまいます。

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