常に二者択一を迫られる、ストレスだらけの日常。せめて大好きな「散歩」くらいは、途中で立ち止まり、振り返り、あえて小さな路地に迷いこみながら闊歩したい。 ゆっくりと自分の目線で眺めながら歩いてこそ、見えてくる何かがあるはず?!

2010年5月30日日曜日

◆朝の神楽坂 路地裏パトロールの楽しみ

 雨が降っていない朝には、神楽坂の路地裏をクネクネとたどる散歩(パトロール)に出るのが日課です。

 最初に、JR飯田橋駅から東京逓信病院前の外堀土手の遊歩道を一口坂まで歩きます。そこからお堀を渡って市谷田町に。住宅街を大久保通りまで出て袖摺坂を上り、そのまま地下鉄神楽坂駅の矢来口まで路地をたどります。

 さらにラーメン「りゅうほう」前の坂を下り、表通りからひとつ離れた小道を選んで歩いて、坂上交差点近くの銭湯「第三玉の湯」まで。そして、再び大久保通りを渡り、ガイドブックでよく紹介されている神楽坂の石畳の路地裏をくねりながら散歩します。

 朝の神楽坂の散歩はルートを選ばないといけません。まず、表通りはNGです。歩道に飲食店の昨夜の生ゴミが積まれ、その回収トラックにも高い頻度で出くわすからです。特に、夏場の生ゴミの臭いは朝の散歩にふさわしくありません。匂いフェチの私にとって、朝の表通りは鬼門なのです。

 そんなわけで、毎朝のパトロールは表通りを避け、徹底的に裏路地を攻めて歩きます。このコースでの楽しみは、路地裏や住宅街でのネコとの遭遇。多いときには10匹以上ものネコに挨拶できます。

 もっとも、ネコのほうはそんな私にお構いなし。姿を見かけると、さっさと建物裏に隠れてしまいます。日本の街並みには必ず、家と家の間にわずかな隙間が設けられ、ネコにすれば絶好の隠れ場所、移動のための道になるわけです。

 もともとは地震などの防災目的で義務付けられた隙間ですが、ヨーロッパなどの街並みにはこうした隙間が少ないと聞きます。ネコが人通りの多い道を避けて休んだり、移動することが難しくなります。つまり、日本の街はネコにとって暮らしやすいといえるのでしょう。

 そんなネコたちに毎朝、シカトされながらも、いつかアイコンタクトで挨拶ぐらいできるまで、仲良くなれたらいいなと思います。写真はパトロールコースにあるお宅の飼い犬です。足音を聞きつけると、ときどきこうして壁の穴から顔だけ出して挨拶してくれます。

2010年5月27日木曜日

◆家庭のLED電球の導入について

 最近はテレビで、家庭用のLED電球のCMを見かけることが多くなりました。LED電球は、白熱球と比べて消費電力が少なく、省エネ性能に優れています。また、耐久性も高く、二酸化炭素の排出量が少ないのが特徴です。いずれは家庭でも、このLED電球が主流となるのは間違いないでしょう。

 しかし、売り場でその価格をチェックすると、やはり、まだ高すぎるのは否めません。ポピュラーな100形のLED電球だと、7,000円近くします。電球1個でこの価格であるというのは、ハッキリ言って「無茶」です。この値段の高さを見れば、CMにのせられて家の電球をすべてLEDに交換しようという人もいないと思いますが、基本的に現状では「保留」スタンスでいるのが無難でしょう。

 そもそも業界では、LED市場がこれほど早く立ち上がるとは予想していませんでした。その前段階として、電球型蛍光ランプへの切り換えニーズを中心に考えていたのです。ところが、ECO志向の高まりから、トレンドは一足飛びにLEDへと流れ、予想外の展開になったといえます。

 ちなみに、LED電球と電球型蛍光ランプとを比べると、消費電力では本当にわずかな差でLEDのほうが勝っているという程度です。いずれも白熱球と比べれば、大幅な消費電力の節約が実現できます。

●60形電球の場合
電球型蛍光ランプ 価格1,180円(定格消費電力10w)
LED電球 価格3,080円(定格消費電力7.5w)
●100形電球の場合
電球型蛍光ランプ 価格1,780円(定格消費電力19w)
LED電球 価格6,980円(定格消費電力11w)

 価格は実売価格であり、あくまで1例にすぎません。しかし、ほぼ同じ省エネ性能であるのに、この価格の差はあまりにも開きがあります。もちろん、電球型蛍光ランプにも点灯してすぐに明るくならないといった弱点はありますが・・・。

 しかも、LEDはスポットライト・タイプの照明には向いていますが、周囲を全体的に明るくするのには、現状では不向きといわざるを得ません。メーカーでも改良を進めていますが、間接照明などで使用すると明るさが足りなくなったりします。

 ある大型量販店の店員さんも昨今のLEDについて、声をひそめてこう話してくれました。
「売っている側がこう言うのもなんですが、まだ、LED電球はあまりオススメできません。それよりも電球型蛍光ランプのほうが価格もこなれていますし、いまの段階では蛍光ランプを選ぶのが正解だと思いますよ。電灯をつけっぱなしの場所とか、交換が難しい場所(LEDはなかなか切れない)とか、用途に合わせてLED電球にするという手はありますけど・・・」。

2010年5月26日水曜日

◆歩き回るのは不安だから、それとも希望?


 私の愛書のひとつである阿佐田哲也さんの『麻雀放浪記 1青春編』で、その書き出しの部分にこんな文章があります。物語の舞台は戦後間もない東京の焼け野原です…。

「盛り場の道はどこも混雑していた。ただ歩くだけなのだ。闇市もまだなかった。映画館も大部分は焼失していた。けれども人々は命をとりとめて大道を闊歩できることにただ満足しているようであった。」

 もちろん、私はここに書かれたような光景を自分の目で見たことはありません。しかし、おそらく当時の人たちは、暗くふさぎがちな表情ながらも、瞳の奥に生きることへの小さな炎を燃やし、すれ違いながら互いにその炎を確認し、共有して、歩き回っていたのではないかと想像します。

      ★

「歩く」という行為は、ヒトを含めたすべての動物にとって、その存在を維持するための根源的な行為です。食べ物をとりにいく、水を求める、あるいは、新たな生活の場を探す―そのために動物は歩いて移動します。あまりにも当たり前のことですが、私は「歩く」ことが、現在の社会生活においても精神面に大きな影響を及ぼす、大切な行為だと考えます。

 例えば、引越しをしたばかりのころ、やたらと近所を歩き回ったことはありませんか? あるいは普段は外出が面倒なのに、旅行に出かけると人が変わったようにアクティブになったりしませんか?

 たぶんヒトは環境が変わって不安を感じると、「歩く」という行動に出る、そんな本能があるように思えます。自分の居場所を確認するために歩く―それは単純な空間認識という目的だけでなく、不安を打ち消して心のバランスを保つという防衛本能のようなものではないでしょうか?

 そして、歩くとヒトはいろいろなものを五感で受け止め、とりとめもなく思考をめぐらします。「考える」ことはランニングではやはり難しい。歩くスピードとテンポが、「考える」状態にふさわしいと思います。私の場合、ごく稀に(数年に1度くらい)すばらしいヒラメキが浮かぶこともありますが、たいがいはお馬鹿で無駄な妄想の類です。でも、その無駄や遊びが精神衛生上で大切なことかもしれません。

 もしも、仕事や日々の暮らしで行き詰まりを感じたなら、とりあえず外出して、あてもなく近所を歩いてみてはいかがでしょうか? 一歩ずつ進みながら思考をめぐらすことで、悩みの解決策とまではいかないまでも、前向きなモチベーションくらいは得られると思いますよ。

 もっとも、年中歩き回っている自分自身は、ひょっとして「不安」の塊? この日も、神楽坂からお台場まで、約13kmを散歩しました。写真はお台場にある第三台場。幕末の黒船来襲に驚いた幕府が、江戸城を守るために築いた砲台の跡地です。台場の端から陸続きなので上陸できます。

レインボーブリッジは歩いて渡ることもできます。そばをクルマがビュンビュン通るので、あまり快適な散歩道とはいえませんが、東京湾の約60m上空で揺れる、ちょっとコワイ景色が味わえます。橋の左右の歩道のどちらかを選ぶことができますが、強風の時には通行止めになったりする場合もあります。

2010年5月17日月曜日

◆緑のトンネル並木道・・・開通かな?


 先週、大学からの友人が、脳内出血で入院しました。子どものころから太っていて血圧が高かったようですが、最近、ジョギングを始めて、身体がスリムになってきた矢先の出来事でした。

 数日前から言葉がうまく出てこないのを自覚し、仕事帰りに一杯やっていたときに、頭がグニャリ(彼の表現による)とゆがむような感じになったそうです。その後、左半身に痺れを感じ、救急車を呼んでもらって病院に担ぎ込まれました。幸いにも意識はしっかりとしていて、処置も早かったため、大きな後遺症を残さないですみそうだということです。

 おそらく高血圧で多少無理なダイエットをしたのが、原因かもしれません。また、彼はお酒が好きで、飲むほどにエンジンがかかるタイプでした。医者からは飲酒の悪影響も指摘されたと、ベッドの上で寂しそうに話しました。

 皆さまもご自愛のほどを。身体の変調には注意をして、おかしいと感じたら、迷わず医者にかかることが大切ですね。

      ★

 ところで、昨日は神楽坂上で青空フェスタが開催されました。路上にさまざまな出店が揃い、例年になく多くの人が集まっているように思えました。

 また、飯田橋から神楽坂上の交差点までの並木は緑が濃く、深くなり、私がお気に入りの「緑のトンネル並木道」が、一応は開通しました。

 しかし、昨年の秋に大胆に枝切りしたせいか、各木の枝ぶりはコンパクトにまとまっているような・・・。でも、贅沢はいいません。これから夏にかけて、緑のトンネル並木道の上り下りを楽しんでいこうと思います。

2010年5月11日火曜日

◆写真NGは料理への贖罪の気持ち?

 知人から、「せっかく神楽坂に住んでいるのだから、お店の情報をブログに書けば?」と助言されました。確かに神楽坂へ遊びに来られる方にとって、「このお店はどんな料理、どんな雰囲気か」という情報は有用でしょう。実際にお店選びの参考として人気のあるサイトやブログはたくさんあります。

 ただ、出てきた料理に箸をつける前に写真を撮るという行為が、私には馴染めません。あくまでも個人的な見解ですが、なんだか「土足で畳の上にあがる」ような、居心地の悪さを感じてしまうのです……。

 少し前に、各地のさまざまな名産や郷土料理を、毎月取材して回ったことがあります。料理を作ってもらってテーブルの上に並べ、カメラマンに撮影してもらいます。さまざまなジャンルの写真の中で、料理写真は難度の高いものらしいです。

 ライティングや構図の調整に時間がかかり、アツアツの湯気の描写が出ないということで、暖めなおしてもらったこともあります。また、刺身などの生ものでは表面が乾いてしまい作り直してもらったり、ビールを美味しく見せるために、割り箸でかき混ぜて泡を膨らましたりもしました。

 その横でお店の人に話を聞きながら、あるいは撮影後に料理をいただきながら、本当に申し訳ない気持ちでした。もちろん、これは仕事ですから仕方のないことではあります。他のお客さんがいない開店前ですし、より美味しそうな料理写真を撮影するために必要なのです。また、お店も紹介されることで集客が期待できるはずですから、そんな気遣いは不要なのかもしれません。

 でも、やっぱり馴染めないのです。そんな身勝手な贖罪(?)の気持ちもあって、出された料理を写真に撮ることに強い抵抗感があります。ひょっとすると、隣に自分と同じような気持ちのお客さんが座っているかもしれないと思うと、なおさらそう感じてしまいます。

2010年5月10日月曜日

◆荒れた海の色を求めて吉祥寺・棟方志功展に


 棟方志功氏の板画や倭画などの作品を前にすると、なぜか私は子どものころに眺めた、台風で荒れる海の様子を連想します。10年ぐらい前に出張で青森に立ち寄り、棟方志功記念館で初めてその作品を見たときにそう感じました。

 小学4年くらいだったでしょうか、台風で荒れる海を見たくて、1人で自転車をこいで堤防にいったことがあります。荒れた海は黒く、大きくうねって堤防に押し寄せ、波頭だけが青く迫ってきました。普段は波も穏やかで釣りなどを楽しんでいた遊び場の堤防。その海が豹変した姿に、驚いて立ちすくんだ記憶があります。

 そのとき強烈に受けた印象は、自然がもつスケールの大きさと怖さです。まさに後付で考えれば、「畏怖」というべき言葉のイメージそのもの。黒とも深い紺色ともつかない、海の色にオーバーラップされて、このイメージが頭の中にインプットされました。

 そんな「畏怖」の感覚を棟方志功氏の作品に感じるのはなぜか? 自分なりに分析すると、作品の色づかいにあるように思えます。もちろん、氏の作品の力強く、時に荒々しい構図にも寄るところが大きいでしょう。ただ、私にとって、墨をベースにした深みのある青、赤、緑などの配色が、あの荒れた海のイメージを呼び起こすように感じるのです。

 出版・編集現場で使われる特色見本帳(印刷会社が提供するさまざまな色のパターン帳)で言えば、「日本の伝統色」というカテゴリに分類される配色と説明すればよいでしょうか。氏がこだわったという日本凧や、あの「ねぶた」の配色にも共通するものがあります。

 そんな色を求めて、武蔵野市立吉祥寺美術館で開かれている「カガヤクシゴト 棟方志功展」を訪れました。5月23日まで開催されているので、興味のある方はぜひ足を運んでください。小規模な展示ですが、入場料金は100円です。

 棟方志功氏は疎開先の富山で浄土真宗の教えに触れ、その影響を受けたといわれています。展示にはそんな氏の代表作の1つである「二菩薩釈迦十大弟子」の板画もあります。また、「何度彫ってもどこか文字を入れ忘れてしまう」と回顧した、宮沢賢治の詩を刻んだ板画もあり、興味をそそられます。

驚いても、オドロキキレナイ。
喜んでも、ヨロコビキレナイ。
悲しんでも、カナシミキレナイ。
愛しても、アイシキレナイ。
それが板画です。


 世界的に認められた木版画作家である棟方志功氏が、残した言葉です。
※通常は「版画」ですが、棟方志功氏は木版へのこだわりから、あえて「板画」という表現をしていました。

2010年5月8日土曜日

◆健康の基本、メタボ解消の近道―「歩く」こと

 宮崎駿監督の『となりのトトロ』で、「歩こう、歩こう♪ 私は元気~♪」というテーマソングがあります。宇宙飛行士の野口聡一さんが宇宙からウェークアップコールとしてリクエストしたことでも知られている曲です。実は、このフレーズ、私のお気に入りです。

 勝手な思い込みですが、「元気よく大股で、ズンズン歩けるうちは、身体は大丈夫!健康だ」と、私は信じています。普段は酒もタバコもやり、編集という身体に悪そうな仕事に携わって、ロクに運動もしていませんが、散歩が続けられる限りは心配していません。そのいきおいあまって、歩くことに異常なほどの執着を抱えていますが・・・。

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 一時期、左股関節の痛みで運動ができなくなり、体脂肪率がかなり上がりました。見かけはそれほど太っていないのですが、いわゆる内臓脂肪の「かくれ肥満」というやつです。しかし、散歩を日課にするようになって、メタボ傾向は大幅に改善されました。

 毎日、少しずつ散歩の距離を伸ばし、2週間くらい続けると、身体の変化に気付きました。散歩をしていると異常にトイレが近くなるのです。ちょうど冬場だったこともあるのでしょう。水分を補給していないにもかかわらず、毎回30分程度歩くと尿意を感じ、公園のトイレを探してしまう有様です。

 これは、つまり身体の代謝が活発になっている証拠。脂肪が燃焼しているのだと感じました。身体の表面の脂肪はあまり落ちていませんが、おなかのボッコリ感はかなりなくなり、ウエストがきつかったデニムも、1ヶ月ぐらいでラクにはけるようになったのです。

 面白いことに、ある時期から、頻繁にトイレに駆け込むことはピタリとなくなりました。おそらく、身体の代謝には何段階かレベルがあって、ある程度の運動をすることで1段ずつステップアップしていくのでしょう――自分の身体はちょうど1段上がったところにきたのだと想像します。

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 そして、こうした身体への直接的な影響もさることながら、散歩にはもう1つ、大きな効果があります。それが、「生活の習慣における基礎代謝の向上」です。

 例えば、最寄り駅の1つ手前で降りて約2kmを歩くとします。最初は長く感じるかもしれませんが、何回か歩くことでこの距離が苦にならなくなります。そうすると、日常の仕事やレジャーでも、歩くことへの抵抗感が薄れ、「乗り換え面倒だから1駅くらいなら歩くか!」となるわけです。

 つまり、散歩の相乗効果ですね。日ごろの消費カロリーが増えて、身体を動かすことへの心理的な壁が取り払われます。さらに、この相乗効果は続けるほどに、どんどん大きくなっていくと思います。私のように固執してエスカレートするのもどうかと思いますが(笑)。

 ジムでのトレーニングや走ることに、いまひとつ乗り気でない方、まずは気軽な散歩から始めてみてはいかがでしょうか? サプリメントや○○ダイエットといった効果の怪しい(と思われる)手法を選択するより、よっぽど簡単で、身体にも負担をかけない、確実なメタボ解消法であることは間違いありません。